聖なるもの 映画 かなりネタバレ注意

聖なるものという映画の感想。

以下、ネタバレ注意。さらに「花に嵐」のネタバレも注意。
この映画を観た人は「わかりにくい」とか「理解できない」という印象を受けるのかもしれないと思いました。
そこでブログ主は戦慄するような、この映画をどのように観たのか書いてみます。
あくまで個人の感想であり、勘違いしているところもあるかもしれませんがご了承下さい。













この映画の主題歌はボンジュール鈴木さんの「甘い声でちくっとして」です。
映画の中では2回流れます。
1回目は海で「映画に出てくれませんか。僕の。」というシーンの後。
2回目は高田馬場のセットのところで聖なるものが奪われたシーンの後。
いそら監督がこの主題歌を選んだ理由は報われない思いの曲だからだそうです。
告白から、その後の別れを印象付け、心を奪う演出だと思いました。

この映画の出だしはぼんやりした月の映像からです。
そこの台詞は
「つき」もしくは「すき」
とどちらにも聞こえます。
これはダブルミーニングかなと思いました。
合宿でぼんやりした月を撮影していた後に南さんを海まで追いかけます。
最後にセットを壊すシーンでいそらさんは真っ黒な夜になります。
つまり月は聖なるものの比喩、夜はいそらさんの比喩だとするならば、最初の台詞は「つき」であり、「すき」なのかなと思ったのでした。

この映画が大きく動くのは小川さんの
「南さん、たっくんとしたでしょう。」という
シーンからなのではないかと思っています。
このシーンで舞先輩から外の世界を目指すことを促されて南さんは教室を出ていきます。
更に実際に住んでいるところからも出ていってしまいます。
次のシーンは小川さんがお風呂場を掃除している、棒を使って抜け毛を掃除している場面になります。
このシーンは一体誰が撮影している設定なのか。
それまでのいそらさんが撮影している設定がここから変わっていったのではないでしょうか。
更にその次のシーンは南さんが最初、セビリアの理髪師をBGMに渋谷の街に出ていくのですが、これも誰が撮影しているのかわかりません。
バラバラに見える二つのシーンからこの映画の設定が変わるのと、髪の毛と理髪師で結うようなリンクをさせているのではないかと思うのでした。

海と外の世界の関わりも繰り返し出てきます。
「映画に出てくれませんか」というシーンは夜の海です。
出産のシーンで海の先に外の世界があることが舞先輩から説明されます。
ベッドのピロトークで小川さんは九十九里の海ではなく、奄美大島を希望します。
そしていそらさんのカメラは最後に海に投げ捨てられ、無音で南さんが現れます。

滝行のシーンは最初に観たときは笑ってしまいました。
しかし、この映画のタイトルは「聖なるもの」です。
4年に一度現れる少女は人間ではなく、幽霊や妖怪かもしれないのです。
南さんが外の世界に行くことを止めるのは話し合いではなく、儀式的なものでないとダメなのでしょう。

この映画は橘先輩が制作している映画という設定なのかということ。
最後の海のシーンでたっくんが橘先輩であることが明らかになります。
また、4年前に南さんに選ばれたのは橘先輩であると舞先輩が途中で明かしています。
「たっくんとしたでしょう。」という台詞は4年前から関係があることも意味しているとも取れます。
では橘先輩が制作している設定なのかというとそうとも言えないとブログ主は思いました。
小川さんはこの映画への出演について「伝説の先輩の映画に出る」とコメントしています。
前作の「花に嵐」は古谷先輩の映画の後半をいそらさんが制作する設定です。この作品は4年前が橘先輩で、この年はいそらさんが選ばれたという前提です。
そうするとこの映画はいそらさんの制作という設定と思った方がすんなり行くのではないかと思うのですが、どうでしょうか。